『なごや じょうに
いって きました 10』
名古屋城 なごやじょう
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
天守閣 てんしゅかく

本丸御殿
ほんまる ごてん

今回は、本丸御殿の
説明文です。
こんかいは、
ほんまる ごてんの
せつめいぶんです。

本丸御殿
ほんまる ごてん

尾張藩初代藩主・
おわり はん
しょだい はんしゅ・
徳川義直の住まいとして
とくがわ よしなお
(1601–1650)の
すまい として
1615年
せん ろっぴゃく
じゅう ごねん
(慶長20)に完成し、
(けいちょう にじゅう)に
かんせいし、
義直が二之丸御殿へ
移った
よしなおが にのまる
ごてんへ うつった
1620年(元和6)以降は
せん ろっぴゃく
にじゅうねん
(げんな ろく)いこうは
徳川将軍専用の
とくがわ しょうぐん
せんようの
宿泊所となります。
しゅくはくじょと
なります。

1634年
せん ろっぴゃく
さんじゅう よねん
(寛永11)の
(かんえい じゅういち)の
3代将軍・家光の
さんだい しょうぐん・
いえみつの
宿泊の際に
しゅくはくの さいに
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徳川 家光
とくがわ いえみつ
(1604–1651)
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上洛殿と湯殿書院などが
じょうらく でんと
ゆどの しょいん
などが
増築されたものの、
ぞうちく された
ものの、
1865年
せん はっぴゃく
ろくじゅう ごねん
(慶応元)に
(けいおう がん)に
14代将軍・家茂が
じゅう よんだい
しょうぐん・
いえもちが
宿泊するまで
しゅくはく するまで
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徳川 家茂
とくがわ いえもち
(1846–1866)
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約230年間
利用がなく、
やく にひゃく
さんじゅう ねんかん
りようが なく、
明治時代以降は
めいじ じだい
いこうは
名古屋離宮として
なごや りきゅうとして
天皇や皇族が
使用しました。
てんのうや こうぞくが
しよう しました。

1945年(昭和20)の
せん きゅうひゃく
よんじゅう ごねん
(しょうわ にじゅう)の
空襲で焼失しましたが、
くうしゅうで
しょうしつ
しましたが、
2018年(平成30)に
にせん じゅうはちねん
(へいせい さんじゅう)に
御殿内を彩った
ごてん ないを
いろどった
障壁画とともに
復元されました。
しょうへきがと
ともに ふくげん
されました。
次の記事に続きます。
つぎのきじに つづきます。


